本年度明らかにした事柄は以下の事柄である。 鮮卑諸族は南下を経て、中国との関わりを深めつつ、やがて中国の域内で鮮卑諸朝を建て、その中の一つである北魏は中国の統一王朝である階唐帝国の母胎となる。また、秦代の長城の築城により、黄河文明の開始に発した華夏諸族の拡大は、長城という、それ以南の地を中国、以北の地を胡族の地とするうえでの具体的かつ象徴的なシンボルをもつことによって、一つの画期を迎えることとなった。こうした事態の出現によって、それ以前の時代の華北においてみられた華夷混在の状況は克服され、中国の周辺に四夷が存在するという時代を迎え、長城を南北の境とする華夷秩序は以後の時代に継承されて行くことになる。しかし、中国を目指して南下する北方諸族の動きはその後も継続し、遙か後世のモンゴルや満州族の例に見るように、中国と共にそれらの諸族の原住地をも包含した大帝国が建国されるようにもなる。このような観点に立つとき、三国期段階における烏丸・鮮卑の存在は、中国史、あるいは東部ユーラシアの歴史全般とどのような関わりもつといえるのか。本年は以上のような問題関心に立って、三国期段階における鳥丸・鮮卑の移動、交流、それにともなう変容のもつ歴史的意味について明らかにした。
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