漢から唐までの時期における中国を中心とした東アジアにおける交流と変容について研究史の総括を行った 倭国の対外交渉の変遷を奴国の時代から7世紀段階まで通史的に考察し、一大卒、那津屯倉、大宰府の成立について古代日本の「中国化」との関連で新見解を提示した。 遼と系譜的に関連があると考えられる北魏における文字の問題を取り上げ、文字の存在の可能性を、北アジア諸民族の自立化との関連で追究した。 倭の五王と高句麗との関連を古代日本、高句麗の「中国化」と自立化との観点から明らかにした。 『宋書』倭国伝に見える安東将軍の意味、それがどのような過程をへて天皇号の採用に至るのかを明らかにした。 同時代における遣唐使としての新羅の崔致遠と阿倍仲麻呂の関連性について明らかにし、古代日本、及び中国における中国との交流のもつ意味を個人のレヴェルで考察した。 魏晋から南朝へと受け継がれた世界秩序と北朝から隋唐へと受け継がれる世界秩序の相克を「中国化」の観点から明らかにした。 三国期段階の烏桓・鮮卑の問題がその前後の時代とどのような関係を有するのかを明らかにした。
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