本年度は台湾の国立故宮博物館における档案史料とくに月摺档の閲覧と収集に重点を置いた。具体的には太平天国後期にあたる1856年から滅亡直前1863年までの同史料から、太平天国関連の史量を複写、整理する作業を行った。 ここでまず明らかになったのは、後期の太平天国は同時期の華北で展開していた捻軍の活動と表裏一体の関係にあり、捻軍に対する分析をを抜きにしては考察が成り立たないという事実であった。とくに団練指導者で太平天国と関係があった苗沛霖や捻軍出身の江南提督だった李昭寿などは、中国の太平天国史研究では「反逆者」として観みられることがないが、実際には清朝にとってより直接的な脅威であり、苗沛霖が英王陳玉成を捉えるなど太平天国の行方を左右キャスティングボードを握っていたことが浮き彫りになった。月摺档も二人に関する多くの史量を収録しており、彼らに加えて清朝に投降した太平天国幹部である韋志俊などの研究を進めることの重要性が確認された。 たまにの時期の月摺档の内容から特微的なのは、雲南および西北(陜西、甘肅)における漢人・ムスリム間の深刻な民族紛争であった。この「漢回」紛争に関する档案は政治的な理由から中国大陸で閲覧することが出来ず、その史料的価値は高い。故宮博物院には1862年以後の軍機処档案も漢回抗争に関する報告を多く含んでおり、その重要な部分を系統的に収集した。また民族紛争は太平天国蜂起の当初から各地で発生しており、1856年以前の月摺档と1852年の軍機処档案からも多くの史料を発見した。 なお研究成果としては、後述の二論文を執筆、発表した。これらは來年度出版予定の『清代中国南部の社会変容と太平天国』に収録予定であり、同書の序章となる研究動向の整理および活用史料の紹介に関する小論を執筆した。また同じ書第三章となる湖南・広東や才族の社会変容と反乱に関する論文(未発表)についても加筆を行った。
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