現在の国際連合における国際的学術交流の中心であるユネスコの前身である国際連盟学芸協力国際委員会について歴史学的に検討を加えた。根本資料としては、パリのユネスコ文書館の資料、ジュネーブの国際連盟文書館の国際連盟関係資料、ロンドンの英国国立公文書館の関係資料、ワシントンの米国国立公文書館の関係資料、加えてコロンビア大学のジェームズ・ショットウェル教授関係資料を用いた。その結果以下のことが明らかとなった。同委員会創設期においては、ベルギーの国際主義者主導でのまったく異なった形での創設の可能性が存在し、彼らとのせめぎあいの中から、フランス外務省主導の形での委員会設立となったこと。その過程で新渡戸稲造が重要な役割を果たしたこと。連絡の不備から日本政府は当初委員を送れなかったこと。国際連盟の正式加盟国とならなかったアメリカ合衆国もオブザーバーを派遣し重要な役割を果たしたこと。1930年代に世界にファシズムが台頭する中においても同委員会は活動を続け、国際連盟を脱退した日本も脱退後も関与を継続したこと。普遍的にみえる今日のユネスコによる国際学術交流も、国際的せめぎあいの中から誕生した英仏を中心とする同委員会創設時に由来する枠組みがその根本にあるということ。そのような歴史的理解なくしては今日のユネスコ等の国際交流のより深い理解は得られないということ。最後に、第二次世界大戦期に同委員会の活動を継続する形となった連合国教育相会議の検討が次に必要となることが明らかとなった。
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