本研究の目的は、「福音主義」と「アソシエーション」をキー概念としてイギリス名誉革命体制の統治構造の再編過程を考察することにある。従来、名誉革命の統治原理は「宗教的寛容」と「地方自治」とされてきたが、宗派間の融和を説く福音主義者は、1780年代以降、日曜学校運動・奴隷貿易廃止運動1道徳改革運動などに関するアソシエーションの全国団体を設立し、中央と地方の関係を再編していった。その中心的な活動家は、ヨークシャー出身のウィリアム・ウィルバフォースであった。そうした団体の一つである「貧民の状態改善協会」は、後期啓蒙の時代の産物として、「貧民に関する科学」を標榜しながら、政治社会の変革のための政策科学を担う任意団体として登場してきた。本研究は、ウィルバフォースを中心とする国教会福音主義派について、大英図書館あるいはオクスフォード大学ボードリアン図書館所蔵のウィルバフォース文書を活用しながら、その博愛主義的諸活動の軌跡を明らかにしようとした。協会は、抽象的理論に基づく改革を「思弁的」であるとして批判して、地方名望家の手によって「あるがままの事実」を創出しながら、それを博愛主義的実践のモデルに据えて出版・流通させ、経験と事実による漸進的改革を志向するものであった。一九世紀前半の社会改革立法をめぐっては、幾つかの異なる類型が現れるという。一八世紀後半においてベンサムらが開始した社会改革の実践、ならびにウィルバフォースら国教会福音主義者の実践は、ふたつの対極的な社会改革の起点となっている。イギリス自由主義時代における社会改革をめぐる全体像は、こうした福音主義者による改革路線を組込むことによって、初めて明確になるのである。
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