平成17〜18年度の二年間に、おもに以下の三つの研究作業をおこなった。(1)近年見直しが進んでいるローマのイタリア王国への統合過程に関する研究文献をもとにその研究動向を把握するとともに、本研究が中心的な課題とするローマの行政制度について理解を深めた。(2)二回にわたり現地文書館でカトリック系慈善団体と王国行政との関係を解明するための史料調査をおこなった。(3)収集した史料のうち、ローマ県アルバーノ・ラツィアーレ市に関する県文書を解読、分析し、自由主義期における市、県・国家の関係について考察した。 (1)の作業を通じて次のことが確認された。まず、ローマの行政制度は実質的には多数のカトリック系慈善団体によって担われており、その実態はイタリア王国への統合後も変わらなかったこと。さらに、そうした慈善団体の王国行政への取り込みの役目を担ったのが1862年に設置され1890年にその権限を強化された慈善委員会であったこと、である。 (2)の作業経過とおもな成果は以下の通り。第1回目(平成17年9月8日〜9月26目):ローマの国立文書館において慈善団体に関する県文書を調査し、アルバーノ・ラツィアーレ市慈善委員会に関する史料、ローマ市の慈善団体S.S.アヌンツィアータに関する資料などを収集した。第2回目(平成18年9月3日〜9月18日)ローマの国立文書館において教会財産に関する会計院文書を、また、フィレンツェ国立図書館において、「イタリア女性国民会議」に関する史料を収集した。 (3)の史料解読作業を通じて次のことが明らかになった。イタリア王国によって各市町村に設置された慈善委員会は1890年以降管轄地域の慈善団体を統括する形式を整えていったが、監督官庁の県や内務省に対しては情報を提供せず自立的に振舞っていた。このことから、少なくとも1900年代までの王国行政については実質的な支配よりも形式的な制度の確立が優先されていたと考えることができる。
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