9世紀半ばから、オットー1世の皇帝戴冠時(962年)までを観察の基本枠組として、地中海世界を舞台に展開された東西キリスト教世界の政治・外交交渉について考察した。分析の焦点は、カロリンガー王権の分割(843年)以降、ザクセン朝フランク王オットー1世(在位936-973年)の「皇帝」戴冠時(962年2月2日)までである。平成19年度も、また引き続き、当該期における東西宮廷間の外交交渉関連の文書所言分析を推進した。この時期は、カロリンガーの直系王統が断絶し、血統が北イタリアを含めて分散した時期に当たる。それは、西欧世界で「皇帝ヘゲモニー」が脆弱化した時期といってよく、フランク王ばかりでなく、ローマ司教、イタリア地域の諸侯がコンスタンティノープルとの外交交渉を頻々に行った時期だった。平成19年度も、平成18年度に引き続き、9世紀後半の西方諸勢力とビザンツ宮廷の交渉に焦点を合わせ、具体的な史料所言の分析を推進した。とりわけ、871年におけるルートヴィヒ2世(在位840-875年、皇帝850年-)と、ビザンツ皇帝バシレイオス1世(在位867-886年)間の交渉を中心に、サレルノ年代記等に見られる記事内容を、当時の国際情勢に位置付けようとした。本研究では、当該期を西欧地域が自立的世界に向かう重要プロセスと認識し、ビザンツ、西欧諸勢力間の交渉過程を分析することで、中世キリスト教世界の政治秩序原理についても再考の視角を提供しようとした。一連の作業を通じて、「帝権の移転」Translatio Imperii問題として理解される西欧世界の生成過程とその特質を、当時の国際関係のうちに分析することの有効性が確認された。
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