この研究は、メロヴィング国家と呼び慣わされている歴史現象の全体構造を解明することを課題としている。「全体構造」の解明という点については、実証主義史学が長く依拠して来た経験主義的・機械論的発想から離れ、J・ル・ゴフやP.トゥベールらの全体史の議論から出て来た、「分節様式論」を仮説的な探査手段として用いることとした。初年度は、メロヴィング王家の婚姻戦略を、ひとつの分節環として検討した。約300年間にわたるこの王朝の支配期を通じて、婚姻戦略のパターンとして、三つの段階が識別できることを確認した。 第一段階は王家成員の近隣異部族王家との縁組みである。これはほぼ6世紀中頃まで継続する。次の段階は異部族王家との婚姻が著しく影をひそめ、かわって男子の場合は隷属身分の女性との婚姻あるいは、内縁関係、女性成員の場合は俗世を離脱しての、なかば強制的な修道生活強制である。これが6世紀中頃から7世紀半ばまでである。第三のパターンが、王国内の有力貴族門閥との縁組みである。こうした現象が顕著になるのは、7世紀後半から8世紀という、クロノロジーが得られた。これは自覚的に王家の血統の社会への拡散をコントロールによって、競合的な勢力の出現を阻止しようとする戦略思考の所産であった。この成果は2005年11月30日ロンドン大学付属歴史研究所で開催された「中世初期ヨーロッパ史研究セミナー」での招待報告として、英語で発表された。
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