高神はG・ニコルズの調査報告を通して、アイルランド救貧法の導入過程を分析した。すなわち、1834年、イギリス政府は貧民救済を抑制させるため、イングランド新救貧法を成立させた。新救貧法の原則とは救貧院で救済をおこない、院外救済を禁止するというものだった。政府はアイルランドからの飢えた労働者の流入を止めなければ、新しいシステムは機能しないと考えた。この当時、アイルランドには救貧法システムがなかった。 そこで政府はイングランド新救貧法をアイルランドに導入しようとし、1836年にイングランド救貧法委員のひとり、ジョージ・ニコルズをアイルランドに派遣し、救貧法の導入のためにアイルランド人の状態・習慣を調査させた。 ニコルズは三つの調査報告書を議会に提出したが、そのなかで政府の意図を正当化した。また、アイルランドには80の救貧院が必要であり、その建設費用は約70万ポンドになると主張された。ニコルズの報告書にもとついたアイルランド救貧法案は1838年7月に成立した。 武井は、最新の研究を含む先行研究の整理をおこなった。次に、19世紀初頭、麻工業を中心にアイルランドにおける工業化と脱工業化が地域別に起きつつあったことから、研究対象の地域別比較研究のための基礎的な資料収集に当たった。 勝田は夏期にダブリンで文献・史料研究をおこない、1822年の飢饉について以下の知見を得た。 前年秋の凶作を受け、1822年の初夏には各地ごとの救憧委員会が組織されて義捐金募金をおこなういっぽう、ダブリン総督府は大規模な公共事業をおこない、飢饉に対応しようとした。
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