研究課題
研究代表者藤本和貴夫は、1925年に締結された日ソ基本条約の実施過程、特にソ連極東地域で日ソ間の中心問題となったサハリン(樺太)、沿海州を中心とするソ連極地域における日本の利権についての研究を行った。そのうち、北樺太における石油と石炭に関する利権は、政府間の基本条約の付属議定書に定められており、比較的短期間に合意に達したが、鉱業、林業など、私人の資格で獲得することになっていた利権については、交渉のなかで、ソ連も現地にパルプ工場の建設を日本側に義務づけるなど、強硬な態度でのぞんだため、森林利権契約の締結は、1927年まで持ち越された。また、東北アジアにおける日露・日ソ関係間の歴史で、特別の地位を占めていた漁業問題については、ポーツマス条約で獲得した漁業に対する既得の利権を守ろうとする日本と、新たなルールをつくって、自国の沿岸地域の漁業権を取り戻そうとするソ連の間で、協定締結をめぐる熾烈な交渉が行われたが、資本主義国とは異なる原理に基づく国営企業を、たとえば漁区(クオーター)の競売でどのように扱うのかといった議論は、現代にも通じるものがある。なお、漁業協定は1928年に締結された。なお、これら日本側利権に関する活動と、満州よりの穀物の搬出のため、1930年ころまで、ウラジオストークに多数の日本人が居留し、邦字日刊紙『浦潮日報』発行されていたことも新しい発見である。研究分担者の華大は、第1次大戦前から第2次大戦中にかけて中国で日本人によって作成された新聞切抜帳「末次資料」(中国廈門大学図書館所蔵)の原本と、原本の構成の一部を変更して広西師範大学から出版された「中華民国史史料外編-前日本末次研究所情報資料」を比較しつつ研究し、東北アジアにおける中国から見たソ運と日本の関係について考察した。
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大阪経済法科大学論集 94
ページ: 145-160
Proceeding of the 21th Joint symposium of scholrs from the Russian Academy of Sciences, Far-Eastern Branch, and the District Kansai, Japan
ページ: 40-56