本研究は、平野部を南流する旭川両岸に地形的まとまりをもつ岡山平野において、弥生時代から中世という歴史の流れの中で、各時代の生業(農耕)と社会との関わり方を浮き彫りにするための基礎的研究である。 考古資料と自然科学的分析に地図史料を加え、各時期において生業空間と集落域が、どのような地形の中で推移していくのかを念頭において景観復元を行い、それぞれの時代の特性を探ることを目指した。 弥生時代では、起伏に富んだ地形に小規模な居住域がわずかに形成される前期から、河道の埋没と沖積化が進行するなかで集落数を増加させる中・後期へと推移し、その変化のなかで、耕作地の拡大と灌漑施設の整備によって生じた農法の変化が生産力の向上を生み出し、居住域の増加を支えていくことを、遺跡をとりまく景観あるいは自然科学的分析などから確認した。復元された景観は、地域間で空間構造に違いをもつ可能性を示す。居住域と墓域そして水田域が、平野部を対象に配される旭川西岸北部域と、個々の微高地に対して居住域・墓域そして周囲に水田域が配される傾向を示す同東岸域である。その違いが生み出される背景に、地形的制約が関わりを持つことは確かである。こうして生じた景観の相違が、農耕の経営母体などの社会的構造に影響をもたらす可能性も考えられる。この点は、弥生時代後期から古墳時代へと、地域間の格差を生み出す背景を考える上で注目される。 古代後半〜中世には、条里制に伴う土地区画によって、近世・近代につながる景観が形成されていることを考古資料および地図史料から求めた。この大規模な耕地の改変は、乾田化あるいは集約的農法の存在を示す自然科学的分析成果とも合致する。同時期の景観は、地形の制約を強く受ける弥生時代などとは異なり、社会的な管理制度が優先されていることを示しており、古代後半にはそれが一般化していることを確認することができた。
|