本研究の目的は、まず第1に現大阪平野全域を対象とし、考古学調査の成果、ボーリング資料および自然・人工の累積地盤沈下量などを用いて等高線を復原した律令期の大坂地形図を作成する。第2に当該図をべースマップとして、古代大坂平野の都城(難波京)の構造、主要集落や寺院の分布、難波京造営後の交通大系、河内平野の洪水対策のために開削された人工水路や大坂平野全域に分布する条里型地割の施行年代等を明らかにすることである。 本年度は、平成17年度におおむね完成させた縮尺2万分の1の7〜8世紀における大坂平野の微地形復原図の精度をさらに高めるため、大阪府内の各市教育委員会発行の発掘調査概報を現地にて収集し、概報に記録された調査成果を上記復原図に追加した上で等高線等の修正を行なった。その結果、現大和川から北の古代摂津・河内地域の1m等高線地形図をほぼ完成させることができた。河内南部から岬状に突出する上町丘陵の東側には、草香江と呼ばれた広大な入り江が生駒山の麓まで広がり、この入り江に北から淀川や淀川の分流である古川や寝屋川が流入し、南方からは旧大和川水系の長瀬川・玉串川・平野川が流れ込む。草香江の水深は、上町丘陵に近い西部で4〜5m、生駒山地に近い東部では6〜7mとなる。当該図をべースマップとして、大坂平野西北部の古代景観、難波京を含めた上町丘陵北部の古代景観、大坂平野西南部の古代景観、大坂平野北東部および東部の古代景観について考察を行なった。特に、7〜8世紀の交通路や条里型地割については、2万分の1微地形図上にそのルートや地割を復原し、関連する遺跡の発掘調査の成果を踏まえてその測設年代や施行年代について検討した。
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