主に、第2次世界大戦前に制作された高句麗古墳壁画の模写の調査を韓国国立中央博物館で行った。目的は、壁画の構成や意味を明らかにするための細部の観察で、対象は龕神塚・天王地神塚・隻楹塚・鎧馬塚・梅山里四神塚(狩猟塚)の5古墳である。特に龕神塚では、死後に仙界に昇ることを望んだ、いわゆる昇仙の思想を具象的に表現した可能性のある壁画が存在することに気付いた。また、同様の思想の表現は梅山里四神塚の壁画にも存在すると考えられるに至った。その他、これまでに展開図を作成し分析した古墳壁画の不明部位の補充を行うとともに、新たに表現の規則性などがわかった。 高句麗の壁画古墳は、大きく見ると、生活の各場面や天界などを構成する多数の図像で構成される前半期のものと、四神図を中心に単純化される後半期のものに分かれる。研究課題の前半期の壁画古墳の図像構成を明らかにし、その意図を解読することによって、当時の高句麗の世界観や信仰の一端を明らかにすることができる。また高句麗は、旧楽浪郡地域や遼東地域の人々を加えた幾つかの異なる文化的背景を有する人々で構成されている。前半期の壁画内容の多様性の分析から、被葬者の出自の違いを明らかにすることができる可能性がある。近年、中国では国家的な歴史の再評価事業により、高句麗を中国内の一民族、一国家と見る傾向があり、韓国の反発を受けている。複雑な要素で構成されている壁画古墳は単なる模倣ではできない。そのため、古墳壁画がどれほど高句麗独自の手法で作られているかという分析から、この問題に対して答えることができる。 高句麗の壁画古墳は、中国起源の手法や思想を基盤とし、細部にまで神経の行き届いた緻密さで図像や場面が構成されており、高句麗で消化吸収した後に、独自に設計されたものと考えられる。
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