本研究期間の最終年度である平成19年度は、前年に資料の存在が確認できた事例地の補充調査、未調査地域の資料収集にあたった。本研究の目的は、3年間にわたっての研究期間において、電気利用組合が多く設立された山間集落において、どのようなプロセスと住民の出資によって電気利用組合が設立され、電気の導入に成功したのかを明らかにすることにあった。しかし、電気利用組合に関する公的資料は極めて少ないことが調査を通して判明した。電気利用組合が最も集中していた愛知県では公的機関に資料がほとんど保管されておらず、比較的多く電気利用組合が立地していた岐阜県や福岡県、徳島県などにおいても同様であった。市町村史の調査からも、電気利用組合の詳細が記載されている市町村は極めて少なかった。そんな中、広島県旧戸河内町と秋田県旧大川西根村の電気利用組合に関する資料の発見は、電気利用組合の成立条件を知る手懸かりとして貴重なものであった。電気利用組合が多く設立される大正末期から昭和初期の頃は、全国的に電気が普及しつつあったが、小規模集落が点在する山間地域は普及が遅れていた。農家では電灯の導入による繭の生産量の向上や生産性を高めるために電化によって農業生産過程の近代化を図ることを必要としていたが、民営電気事業者が主に採算性の問題から、周辺集落を配電区域から除外したことから、集落単位で電気利用組合を設立することを余儀なくされた。しかし、電気事業の経営には莫大な費用を必要とし、地主小作制度下において山村の零細農家にとって出資金の拠出は決して容易なことではなかった。調査からそのような一端を知ることが出来た。一方、戦前の電気事業には複数の町村が組合を設立して電気事業を経営したケースが存在した。資料調査の結果、大正中期に秋田県横手町とその周辺の4町村によって組合立の電気事業を計画していたことが判明した。結果としては、一地域一事業者の原則から配電権を獲得していた民営電灯会社から配電権の譲渡を受けられなかったために設立には至らなかったが、民営主導で展開した戦前の電気事業において、自治体が連合を組んで電気事業を経営する意図を知り得る重要な資料を得た。これらの研究を通して、現在の九電力体制の基礎となった戦前の配電会社設立以前の電気供給ネットワークの末端部分が、地域自治的に形成されていたことは極めて重要な史実であることを認識した。これまでの電気事業史研究においては、電気利用組合や町村組合による電気事業の存在は軽視されてきただけに、これまでの筆者の山村の町村営電気事業とあわせて、本研究の意義は大きいものと考える。なぜならば、今日的なエネルギー資源問題や地方分権型社会の構築への論議の手懸かりとなり得ると考えるからでもある。
|