本研究は、戦前のわが国の主に山村に立地した電気利用組合の設立過程や背景を明らかにして、民営主導で展開した戦前の電気事業における、その歴史的意義を検証するものである。本研究では、とくに多くの電気利用組合が開業した府県を中心として調査研究を行った。しかしながら、手懸かりとなる市町村史や府県史等、地域史の中に電気利用組合の記録が残されているケースは少なく、その全容を解明するのは困難であった。とはいえ、いくつかの研究成果を見出すことができた。 第一には、電気利用組合設立の動機の多くは、民営電灯会社が配電地域としつつも、家屋が散在しているために配電の対象から除外したことにあった。養蚕が盛んであった大正時代の山村では、石油ランプによる火災がたびたび発生しており、安全で、点灯に手間の掛からない電灯へのニーズが高まっていた。第二には、電気利用組合は1923(大正12)年以降に急増するが、その背景には、それまで電灯会社の育成のためにいわば保護政策をとっていた逓信省が、1922(大正11)年に電気利用組合を認可する方針へと転換したことにあった。第三には、住民出資によって設立された電気利用組合は、地域の内発性に基づいて設立されたことである。戦前の電力供給ネットワークの末端が民主的に形成され、運営されていたことは、今日のエネルギー問題、環境問題の地域の対応を考えるのに示唆的である。 しかしながら、戦前の地主小作制度下において、電気利用組合設立に際して、住民にどのような対応があったかについては、資料の制約から明確にすることはできなかった。この点については、引き続き、資料収集と分析を進めることによって明らかにする努力をしたい。
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