本研究は、20世紀前半期のうち満州国成立以前の1920年代までの満州における農業、農地開発を東亜道文書院生による「大旅行」記録のうち、満州の調査旅行記録を抽出し、それをベースにしつつ、明らかにしようとした。その成果は以下のとおりである。 1.東亜同文書院生の記録は、清朝末期から民国前半期にあたるこの時期の中国の混乱期において、各班がそれぞれのテーマをもちつつも満州各地を活写した貴重な資料であり、この時期の農業や農地開発に関しても多くの情報を有していることを確認できた。 2.それらの記録によれば、すでにロシア南下に対抗した清朝による漢民族の満州への農地誘致が20世紀に入ると、おもに山東省農民の季節出稼形態の中に農民としての定着化がみられるようになり、先行した地主の農業労働力として雇用され、あるいは小作農民として、地主層との階層性を生みつつ展開した。そして農民の増加により、都市部へ商人も流入するようになり、農民、農村相手の商品流通もみられるようになった。 3.しかし、寒冷な気候下で、栽培期間は短く、それに対応すべく馬耕による耕作が工夫された。農地開発は南満鉄道沿いの南満州が中心で帯状にハルピン近くまでみられたが、北満、東満、西満は圧倒的未墾地であり、そこが1930年代以降、日本人の入植地域となったことからすれば、この1920年代までは満州のその後の農地開発の棲み分けのベースをつくったといえる。
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