本年度は、助成の総括としてマクロ、ミクロ双方の総合化に着手した。「safety-first」運動がアメリカで展開されたことへの問題提起として、聖書の内包する"誘惑に陥らずに絶えず目覚めよ"というメッセージ性に触発され、そのテキスト分析に基づき初年度にリスク論を援用した「恩恵(代価なく与えられた自由)/責任(応答)」と、これを動機付ける「信頼」という理論モデルの構築を行なった。「safety-first」はフォードの発展とともにアメリカ全土へと普及したが、その繁栄は若きR.ニーバーの教会活動の時代と重なっていた。これは次の二点を示唆する。第一に、時代と連動した宗教倫理の形成という点であり、具体的には個人的な内面意識のみでなく、社会化した力として働く「社会悪(social injustice)」としての罪の意識の着想とこれに動機付けられた献身による利他的な愛の社会的実践という点が挙げられる。第二に、これがフォーディズムという合理化経営を保障するために流用された「経営宗教」であった可能性である。その根幹には大量の「移民」が不可欠であったが、それには彼らの健全な家庭保護を名目として生活改善を図る「禁酒法」などを包括した、プロテスタント経営層が唱導する「safety-first」の理念が適合していた。これに対処すべく着想されたのが企業とのパイプ役を果たした「safety-man」の存在である。「safety-first」が、現場から選任された「福音の戦士」と称された労働者へと一任された点は社会的上昇手段という戦略性をうかがわせはする。だが、プロテスタントによる改宗運動との重なりを考慮すれば、労働を取り巻く生活の場においてリスクとして罪の外面化の抑制のため労働者自身の「恩恵/責任」として実践すべく動機付けられた「信頼」による「経営宗教」という側面も指摘されよう。「safety-first」に発する「経営宗教」は、従業員の私生活をも包含する組織化の原理として米国流の経営システムを構築させたといえよう。
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