瀬戸内海の島嶼で、瀬戸内を代表するタイについて、漁撈技術や祭りについて調査した。タイは海産資源のなかでも晴を代表し、島嶼の祭りにおいても欠かせない。ただし、瀬戸内島嶼でも一本釣り漁村は限られる。芸予諸島では豊島・生口島など、潮流が早い海峡に面した漁村に限られる。尾道市生口島の北町の漁師は、鯛を対岸の大三島の瀬戸の祭りに奉納し、かわりに濁り酒をもらって地元の神社に供えて祭りをおこなっていた。また地元ばかりでなく瀬戸内海、さらには九州までタイをおってでかけ、その先々で一本通釣り技術をおしえた。さらに出漁先で船宿を頼んで交流したり、毎年漁具を売りにきていた堂ノ浦に立ち寄り情報を得るなど、海のネットワークを利用した。 愛媛県新居浜市の垣生は、研究者の郷里であり、子供のころ親しんだ半農半漁の村である。戦前の垣生での海辺のくらしを、母親の手記を通してまとめる作業をおこなった。干潟がでる遠浅の海、岩礁が連なる磯、それぞれを専業漁師以外でもさまざまな形で利用していた。そうした海辺に住む人々の、多様で複合的なくらしを体系的に整理することができた。 瀬戸内海のような内湾でも、専業漁師と農民は相互にすみわけながら海を利用し、それぞれの資源を交換していた。また海辺に住む人々は、性差・年齢・階層をこえて、遠浅や海辺をくらしの場として利用していた。瀬戸内海は、日本を代表する里海とよぶにふさわしい海だったのである。
|