1 研究の概要 今年度も吹田市千里山住宅地を中心にフィールドワークを実施した。聞き書き調査のほか、研究機関や地元に残っていた開発当初の図面や航空写真を入手した。さらに大正から昭和初期にかけて「田園都市」の名称で開発された東京や大阪、九州の事例を求めて現地に赴き、写真撮影や地元の博物館等での資料収集を行なった。 2 成果 (1)郊外住宅の開発は関東より関西が先行して行なわれた。関西で最初に田園都市として誕生したのが千里山住宅地であった。関東の多摩川住宅地(田園調布)とほぼ同時期にあたる。 (2)ハワードが提唱した理想的な住宅地の理念「田園都市」は、わが国では緑豊かな環境という点を強調しながら、さらにロータリーをもった中央広場と、そこから延びる放射状の道路などが創り出す景観を中心に展開した。 (3)しかし千里山住宅地と田園調布には、倶楽部やテニスコート、売店など暮らしに関わる施設の整備、さらに中産階級のサラリーマンが取得しやすい分譲の方法の採用などハワードの理念に近い要素も認められる。 (4)関東大震災など社会状況の悪化のため、ほとんど場合、田園都市としての開発は当初の予定どおりには進展しなかった。千里山住宅も当初の計画図面とその後の図面を比較すると、多くの変更がなされている。 (5)短いながら平和で社会に自由の機運が満ちた大正から昭和初期に、住まいの理想を求めて街づくりが行なわれたことは意義深い。田園都市の景観や住まいには、わが国の住文化を研究する上で重要な鍵が存在する。
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