11-12世紀にローマから占有慨念が受け継がれた後も、西ヨーロッパではこの概念は十分には定着せず、そもそもその正確な概念内容が理解されるためには15-6世紀の人文主義を要した。しかるにこの概念こそ、およそ法学的概念体系、特に民事法、民事訴訟、の発展のために鍵を握るものであった。この研究の基本的なねらいは、人文主義における概念の正確な把握の過程と、実務における概念の定着を、必ずしも矛盾無しではない画像としてギャップを描くことに存した。つまり単なる乖離ではなく、相互作用や相互克服の試行錯誤として把握するということである。人文主義つまり学識法の側においては、従来の学説史ではあきたらず、概念の掘り起こしのための思考や装備の問題に焦点をあてて再考することを目指し、一定の成果を得た。つまり人文主義ローマ法学のみならず、人文主義一般のテクスト解釈メカニズムに立ち入り、占有概念の古典的形姿を再発掘する様を分析しようと試みた。特に、16世紀フランスの人文主義法学にも固有の限界が認められ、これが社会の真の問題に鋭いイムパクトを与え得ない結果を将来するのではないかとの見通しを得た。しかしながら、このことを実務法学の側の悪戦苦闘、ディレンマ、の描き出しによって裏付ける作業は、緒に就いたばかりであり、かつ後続の研究計画が認められなかったため、一旦ここで終結せざるをえない。とはいえ、若干の文献に触れた限りにおいて言うならば、確かに一旦正確な占有訴訟の原則は理解されたとはいえ、従来考えられていたように、直ちに占有概念は十全な形で定着したのではなく、特におそらく17世紀に入って行くに従って、よく機能し始めた占有訴訟自体が、一方では単純な物の取り戻しのために、他方では凡そ平和秩序維持のために、使われ、再度混乱に向かっていくのではないかと考えられる。確かにそうでなければ、19世紀になってのサヴィニーによる大整理は必要なかったであろう。
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