研究期間3年間を予定している本研究課題の第2年度に当たる平成18年度は、当初計画によれば、先行研究が必ずしも十分に検討していなかった清代初期(具体的には康煕朝〜雍正朝頃)の事案の検討を通じて、父母の仇に対する復讎における処罰の変遷を明らかにすることによって、清代法制度の特質を明らかにする予定であった。ところが、実際に『例案全集』や『成案彙編』等といった清代初期の刑事先例集を検索した結果、所収されている復讎の事案は、予想外に数が少なく、それらから復讎事案処罰の時期的変遷を読み取るには必ずしも十分な量ではないことが判明した。その原因(理由)については、いずれ日を改めて検討してみたいが、今回は急遽研究対象を変更し、誤殺(錯誤による殺人)の事案、とりわけ重い罪を犯す意図で実際には軽い罪を犯した(あるいは逆に、軽い罪を犯す意図で実際には重い罪を犯した)場合の処罰規定である、「犯時不知」律の適用をめぐる時期的な変遷に着目し、清代法制度の特質を考察することにした。「犯時不知」律は、本研究課題が主たる対象として掲げているような、純然たる「刑罰減免制度」とは言えないが、その適用が犯人にとって有利に働くこと、および錯誤による犯罪を軽く扱うべきとする思考様式は、やはり儒教思想に由来すること等から、「犯時不知」律を考察対象に据えることは、本研究課題の趣旨に合致している。今回の研究によって、「犯時不知」律の適用に関して、当初はその注の例示にある如く、親族身分関係の錯誤に関する場合については、広く同律が適用されて加害者にとって有利な(寛大な)処罰が行われていたが、乾隆朝を境として次第に適用が制限され、嘉慶24年以降になると、同律はきわめて限定的な場面においてのみ適用されるように変化していったことが明らかになった。
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