従来の法制史研究においてはエピソード的にしか言及されてこなかった1792年から1793年にかけての、フランス革命期の議会(国民公会)でのルイ16世の国王裁判について、今回、国王裁判のクライマックスといえる1月15日から20日未明までの、4回の指名点呼による投票、すなわち、「罪責」「人民への上訴」「刑の内容」そして量刑が死刑となったことから「刑の延期」の4つの争点をめぐる定足数749名の国民公会議員全員の投票行動を一覧表にして、連続した4回の表決の推移がもつ意味を、県別の特徴があるのかないのか(たとえば革命的とされるパリや逆にジロンド県はどうか)、年齢の世代ごとの違いがあるのか否か(若い世代のほうが前国王に厳しいのかどうか)、さらに法律家の議員(たとえば、革命前のパルルマン法院裁判官や弁護士、革命期の治安判事など)はどのような法的論理を用いて自分の主張の論拠としているのかを議会議事録の『アルシーヴ・パルルマンテール(Archives parlementaires)』を用いて分析した。このような研究は、すくなくともわが国において初めての画期的なものであり、一覧表にしてみて判明する点が、たとえば刑法典に論及したうえでの死刑の求刑になっているなど、ルイ16世の国王裁判が単純な「政治裁判」であるといってすませることができないものであることを明らかにしえた。こうして、国王裁判は短期的には革命裁判所につながるものではあるが、長期的には政治裁判制度を考える原点になっているといえる。
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