本年度は、「国家の倫理的中立性」が問題となる領域を、日本における代表的な裁判例を素材として検討する作業を行った。 一つは「国家の宗教的中立性」にかかわる。日本国憲法では政教分離が定められており、「国家の宗教的中立性」が要求されている。この点に関して最近大きな議論を起こしているのは、首相の靖国神社参拝である。この参拝行為に対して提起された国家賠償請求訴訟において、二つの裁判所が、請求を退けつつも傍論で違憲判断をして注目を集めた。この裁判では、「職務行為該当性」や「権利侵害の有無」という論点で決着がつく場合に、「違法性」の判断をしてもよいかが、訴訟法的には重要な論点であった。実体論としては、目的・効果基準を適用すれば、この事案は違憲=「国家の宗教的中立性」に反する、とされるのが素直であろう。この考え方を批判する代表的な論者は、国民のあいだの「精神的紐帯」を国家が「国民宗教」として「復権」させようとしており、その時念頭におかれる神道は、政教分離の埒外だと考えている。このような、近代の自由な世俗国家の構想を根底から覆す国家論の適否がまさに問われていることを論じた(ジュリスト1287号論文)。 もう一つは「国家の信条的中立性」にかかわる。前者とは異なり、「信条的中立性」は日本国憲法において明文では規定されていない。そこで、このような客観法原則をもちだす前に、思想・良心の自由という権利論で、そこまで問題を処理できるのかを確認しておく必要がある。この領域における最近の焦点は、学校における国旗・国歌の強制という問題である。この点に関して最近様々な議論がなされているが、これを「保護領域・侵害・正当化」という、ドイツにおける基本権ドグマーティクの枠組みを用いて整理し直し、裁判例や諸学説における錯綜した状況を解きほぐす糸口をつかもうとした(法政研究73巻1号掲載予定論文)。
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