過去2年間の研究を継続して、本年度も「国家の倫理的中立性」という要請は憲法解釈上いかなる役割を果たすことができるかについて、個別的な事例に即して考えてきた。 第一は、「国家の信条的中立性」にかかわる。一つの素材は、2007年2月に出されたピアノ伴奏拒否事件に関する最高裁判決である。「国家の信条的中立性」という客観原則を持ち出す前に、教師の思想・良心の自由という主観的権利を道具として論ずる仕方を、かなり念入りに考察した(ジュリスト1337号論文、法律のひろば61巻1号論文など)。もう一つの素材は、石川中学事件である。この事件では、教師の授業内容を理由として訓告処分がなされた。ここでも「教育内容の中立性」という客観原則を持ち出す前に、教師の教育の自由を道具として論ずる可能性について考察した(近刊予定の『事例研究憲法』所収論文)。 第二は、「国家の宗教的中立性」にかかわる。一つの素材は、首相の靖国神社参拝問題である。ここでも、訴訟の場面では、「国家の宗教的中立性」という客観原則が争われる以前に、参拝によって個人の主観的権利が侵害されたかどうか、が争点となった。この点について、最高裁判決を中心に分析をおこなった(民商法雑誌136巻6号論文)。もう一つの素材は、イスラム教徒の教師のスカーフ事件である。ムスリムのスカーフを着用して授業を行うことは、「国家の宗教的中立性」に反するのか。この要請は、この事件において重要な考慮要素ではあるけれども、それだけでこの事件を解決することはできないという状況を、ドイツと日本に即して考察した(『ドイツの憲法判例III』、『事例研究憲法』所収予定論文)。
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