これまでの研究により、「国家の倫理的中立性」という概念は、政治哲学ないし憲法理論の基礎としては重要であるが、憲法解釈の場面で果たす役割は限定的なのではないかという結論を得た。憲法解釈論においては、そうした客観法原則よりも、実際にはむしろ主観的権利論が果たす役割が大きいように思われる。そこで、解釈論における両者の協力と緊張を、具体的な場面ごとに考察することが重要となる。 このような問題関心から、今年度も具体的な問題を素材として、「国家の倫理的中立性」という原則と憲法上の権利論の協力と緊張関係について考察した。第一の素材は、公立学校におけるイスラームのスカーフ事件である。この事件はまさに、国(自治体)側が主張する「国家の宗教的中立性」と教師側の主張する教師の信教の自由が衝突する事案である。この事件について、ドイツの議論状況を考察する論文(『ドイツの憲法判例III』所収)、および、もし同種の事件が日本で起こったらいかに解決されるべきかを考察した論文(『事例研究憲法』所収)を公表した。第二に、「公教育の信条的中立性」と教師の思想良心の自由、表現の自由が衝突する事案について考察する論文も公表した(『事例研究憲法』所収)。第三に、「裁判官の中立性」と裁判官の市民的自由が衝突する事案についても考察した(『事例研究憲法』所収)。 こうした個別的事例の研究と共に、今年度の特筆すべき成果は「憲法訴訟の現状」という報告を日本公法学会で行ったことである。この報告では、憲法上の権利の裁判的保障に関して、従来の憲法学界で通説的であったアメリカ型違憲審査基準論の限界を指摘したうえで、それに代る判例理論に内在的な違憲審査法理について論じた。
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