今回の研究課題を改めて確認すると、長い歴史を誇っていたイギリスの軍法会議が、フィンドレイ事件に関するヨーロッパ人権裁判所判決(1997年)などによって、大きく揺さぶられ始めた。それらへの対応の中で、軍法会議を中心とする軍事司法制度全体の改革がおこなわれた。スピア事件に関する貴族院判決(2002年)およびクーパー事件に関するヨーロッパ人権裁判所判決(2003年)は、それらの改革をほぼ全面的に評価した。こうして、司法機関による軍事司法制度の法的評価は確定し、それらの総決算が2006年軍隊法制定である。こうしたプロセスで生み出された軍事司法制度のエッセンスを、「司法化」「市民法の論理」などの視点から、抽出することが、主たる課題であった。 しかしながら、この課題の半分は、達成されなかった。その主たる要因は、2004年後半頃から生じた別の側面からの、軍事司法制度への揺さぶりであった。イラク占領をおこなっていたイギリス兵士による、イラク人虐待事件である。平時おいて、改革後の軍法会議はそれなりに円滑に運営されている一方で、その準備が不十分であったとされる占領に際しては、占領地域の混乱状態にイギリス軍は対応できず、軍そのものも混乱に陥ってしまった状況の中で、軍の規律は乱れ、事後にその処罰を行おうとしても、司法手続きに必要な事実・証人等を収集することすら、困難であった。そのために開廷された軍法会議をはじめ、一般の刑事裁判所での裁判においても、大半の被告人となった兵士達は無罪となり、イラク人虐待事件の解明への模索は今だ継続中である。 達成されなかった課題に関しては、日々、これらに関する情報を収集するレベルでしか対応できず、それらの分析・検討は、Public Inquiryなどの今後の展開を視野に入れながら、今後の課題となる。
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