本研究は、近年、社会科学一般および公共討論の場において注目を集めているソーシャル・キャピタル論を、政治思想史的なパースペクティブから分析し、その意義を解明する試みである。ソーシャル・キャピタルの活性化の可能性をめぐる主要な議論を検討した結果、それらの多くは、人間が社交に向かう傾向性を暗黙のうちに前提としており、従ってこれを促進する、ないしは妨げる社会経済的要因に関心を集中していることがわかった。他方、社交への嗜好や、選好される社交の形態が文化的な要因によって規定されるという認識が不十分であり、このため20世紀後半の文化変容のソーシャル・キャピタルに対する意味を十分に解明できていないという認識に至った。とくに、今日、ソーシャル・キャピタルのあり方にとって、重要性が高いと思われる文化的価値領域として、第一に、宗教ないしスピリチュアルなニーズをめぐる領域と、文化的アイデンティティの承認をめぐる多文化主義の問題群があり、それぞれを歴史的パースペクティブのもとにおいて検討する必要を認識した。これらの領域において1960年代以降に生じた変化は、しばしば否定的に論じられるが、近代史の長いタイムスパンで見た場合には、ロマン主義的潮流の定着の帰結と見なしうるものであり、社交性を規定する文化的条件と考えるべきである。ソーシャル・キャピタルの活性化の条件として、個人の自発性と、組織の安定性の折り合わせが重要であるが、以上ような検討をふまえれば、新しい社交の形態が、個人の多元的な人生の探求・アイデンティティを許容すべく包容的で、かつ対話的な契機を組み込む必要があるとの認識に至った。
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