第一次世界大戦まえから1920年代はじめまで、同時期の対中国政策と日中関係の展開の詳細な把握を前提に、山県有朋、寺内正毅、原敬、高橋是清、加藤友三郎、加藤高明、またこの時期の若槻、田中、浜口ら、主要政治家・官僚・軍人の国家構想と中国認識・対中国政策構想の分析検討をおこなった。 さらにそれと対照させながら、中国北京政府および南方政権、奉天派軍閥の対日政策、すなわち段祺瑞・孫文、張作霖、陳友人らの対日政策構想の研究を本格的におこなった。それに加えて、米英の東アジア政策、ウイルソンやブライアン(米国務長官)、バルフォア、カーズン(英外相)の東アジア政策構想も分析した。 具体的には、第一次世界大戦期の山県、原の構想の相克の検討を中心に、1910年代の政党政治成立期における主要政治家・官僚・軍人とりわけ山県、寺内、原、高橋、加藤高明、浜口雄幸・後藤新平などの中国認識・対中国政策構想と、中国側の対日政策その背景となる欧米諸国の東アジア政策、英米政治指導者の東アジア政策構想を分析した。 山県は、第一次大戦期において、ロシアと提携するかたち、アメリカ・イギリスと対抗するかたちで、中国への膨張政策を遂行しようとしたが、ロシア革命によってその外交戦力が崩壊し、日本は国際的孤立に陥った。それに対して、大戦末期、政権を掌握した原敬は、対米協調、中国内政不干渉にに外交政策を転換し、それに対応する国内政策を遂行していく。 このような日本の動きに対応して、中国側では、この時期の孫文、張作霖、陳友人などの構想が、米英では、ウイルソン、ブライアン、バルフォア、カーズンなどの構想を検討の対象とした。
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