3年計画の研究の1年目は、英国のイーストアングリア大学に滞在して研究を行った。2年目も同大学にて研究を行う。同大学で日常的に行われている環境問題関連の講演会に出席してわかることは、発表される研究は日本で行われているものと違いはないということである。ただ、英語圏における情報共有の基礎の大きさは感じられる。また、英国政府の生産消費形態に関する研究レベルは日本より必ずしも進んでいないが系統的に取り組まれていた。 さて政策目標とは価値の問題であるが、英国生活を通じて、英国人の生活は日本人のそれと表面上は特に変わりはないが、彼らの価値は日本人のそれと大変異なるということがわかった。これは政策目標・手段を考えるうえで重要である。価値の違いで特に目につくのは分配についてである。彼らは上中下の階級の存在を受け入れている。実証的な文献を調べてみると、(英国人とある程度価値を共有するであろう)米国人は中国人に比較して、他の人の所得上昇をいやがらない、すなわちねたみという感情が弱い、ということがわかった。また、ねたみを扱う主に米国の諸文献を読むと、ねたみ、という感情をそもそも悪であるものとしていることがわかった。新古典派経済学の基本は財と効用に関するパレート改善は一致するということであるが、ねたみという感情がないかまたはそれを悪と考える一方で、飽くことのないどん欲さをよしとする価値体系の下での主張であることが理解された。しかし、これは全世界に通用するものではなかろう。 また、政策目標を考える際に問題となることに、有限の文字記号を用いて曖昧さを残さずにそれを既述することが可能であるか、という問題があるが、これと同様の問題は経済学(コース、+倫理学(セン))、経営学(サイモン)、政治学(クリック)、数学(ゲーデル)、といった異なる分野で指摘されている、かなり一般性を持った問題であることがわかった。
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