日清興信所『満州会社興信録』、大連商工会議所『満州銀行会社年鑑』、満州鉱工技術員協会『満州鉱工年鑑』、満州中央銀行資金統制課『満州国会社名簿』など、満州に進出した日系企業の会社情報(特に役員および株主)に着目し、それらの情報をデータベースに入力した。このデータベースを利用して、満州における日系企業に関して役員および株主の重複状態から、そこに存在したと推測する企業家ネットワークの検出を試みた。 把握し得た企業家数は約2万人に上り、その役80%は役員を兼任しない企業家であった。しかし、2〜4社を兼任する企業家は18.1%を占め、構成比では全体の0.4%にすぎないが、90人の企業家は在満洲企業で10社以上の役員を兼任する企業家であった。これらの企業家の渡満州の背景や満州における企業活動の検討を行なった。その結果、満州で広範な企業家ネットワークを形成していた企業家には、渡満創業型、満鉄社員型、満洲企業に就職後に独立した等のいくつかのパターンを析出できた。これらのうち大連を代表する有力企業家として相生由太郎、奉天を代表する企業家として庵谷枕に注目し、彼らの関与した企業や企業を媒介としたネットワークがいかなる背景から形成され、それが日本の満州植民地支配政策や経済活動にどのような影響を与えたかについて研究を進めつつある。 次年度はそうした企業家に着目して、満州において日本企業家がどのようなネットワークを形成し、それが満州の経済や社会にどのような意味を持ったかを複合的に検討し、アジアにおける日系企業家の経済ネットワークの一端を明らかにする。
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