死を看取る伝統的な共同体が解体し、死の病院化が進行することにより、死が日常世界から隔離、隠蔽され、重要な他者の死をリアルなものとして経験する機会が失われた。このことは他者の他者としての自己の死についてリアルに想像することを困難にし、死にゆく自己の生の意味づけをできずに患者は孤独に死をむかえねばならない。他方で自己は自己物語という形でたえず語られねばならない再帰的プロジェクトとなり、死にゆく自己の生の意味づけを自己が再請求する死のアウェアネス運動が起き、それと連動する形でホスピスや緩和ケアをはじめとする終末期医療が成立したのだが、終末期医療において死に対してどのような視線が構築され、死にゆく人の経験や意味が医療の対象としてどのように組み込まれてきたのかを明らかにしなければならない。そこで、自己を物語ることや病の経験を物語ることについて理論的検討を行い、自己物語を通じて自己が再帰的に構築される過程、そこにおける聴き手としての他者の意味、物語を共有する共同体の形成と共同体による意味の型どり、語ることと病の身体との関係について明らかにした。次に、終末期医療において死にゆく過程が心理的過程として構築されることに基づいて、死にゆく心理的過程を医療による管理の対象とすることが可能になったことを明らかにし、死にゆく人の意味喪失へのケアであるスピリチュアルケアを支えている論理と、スピリチュアルケアの限界について明らかにした。そして、闘病記を収集、分析し、スピリチュアルな苦痛がどのように表れているのか、自分らしい死のむかえ方がどのように模索されているのか、他者との関係において死にゆく生の意味がどのように見出されているのか、そこにおいてどのようなまなざしの転換があるのかを明らかにした。
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