死や死にゆくことの意味を支えてきた伝統的共同体が解体し、大半の死が病院で管理されるにつれ、死にゆく人は死にゆく生の意味喪失の苦しみをかかえたまま、孤独に死をむかえねばならなかった。終末期医療は、死にゆく過程を主に心理的過程として構築することに基づいて、その過程への医療的ケアを加えるものであり、死にゆく人の身体のみならず主観的世界までも医療的管理の下に置こうとするものである。そのために終末期医療は、く語る-聴く>という新たな関係をケアの中核として導入したが、スピリチュアルな苦痛の捉え方がアドホックであるため、頃聴を通じての対処療法的なケアにとどまったり、ケアをする側からする望ましい死に方への誘導になるという限界がある。本研究はこれらを明らかにしたうえでさらに、死にゆく人の語りの分析を通じて、スピリチュアルな苦痛の中核は何か、死にゆくこととスピリチュアリティとの本質的な繋がりは何か、スピリチュアリティは他者との関係においてどのように作動し、死に直面するまで気づかれなかったいかなる意味の次元を照らし出すものなのかを明らかにした。従来のスピリチュアルケアでは、自己実現などの能動的意味の追求を援助することが中心となっており、何かを為すことがもはやできない人の生は無意味なままに放置される。だが、死に直面しスピリチュアリティが作動しまなざしが転換することによって、自己実現的な能動性以前に、自己の存在が既に他者とく共に存在する>ことでしかありえないこと、この根源的受動性に気づかされ、受動的な意味を見出すことが可能になるのであり、いかなる生にもその意味を照らし出す働きとしてスピリチュアリティを捉えることができる。その意味で本研究はスピリチュアルケアを最も深い水準で考えうる研究の基盤を構築するものである。
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