研究課題
基盤研究(C)
本研究が対象とする事件は、敗戦直後の朝鮮人引き揚げ船の海難事故に関するものである。1945年、第二次世界大戦終結後の9月〜10月、長崎県壱岐において、日本から朝鮮に帰還する人々が乗った船が強い台風のため遭難し、多数の死者が出た。言うまでもなく、壱岐周辺での海難事故は、この事故以前にも、またそれ以後も起きている。しかし、終戦直後のこの海難事故に注目する理由は、数百人の死亡者が出た惨事であったにもかかわらず、それほど知られてはいないというだけではない。日本の敗戦、朝鮮解放直後という時期の、大型台風が襲来する非常時体制下における日本人と朝鮮人の関係のあり方が、この海難事故とその後この事故について語られてきたさまざまな語り(ストーリー)を通して見ることができるからである。3年間にわたる研究調査では、(1)壱岐における海難事故遭難現場の現地調査、(2)聞き取りを通しての島民の記憶に関する調査、(3)行政資料、死体検案書等の記録文書調査、(4)遺骨に関する調査、(5)日韓外交関係史料調査などを行った。これらの調査の結果、(1)従来、芦辺湾の海難事故被害者は広島の被爆徴用工であるという見解が流布され、国会等でも質問が行われたが、これは事実とは異なることがわかった。(2)また、朝鮮人の上陸が拒否されたために、多くの犠牲者が出たという見方もあったが、島民の中には、朝鮮人遭難者を救助した人がいるのではないか、ということが明らかとなった。(3)朝鮮人海難事故犠牲者の遺骨については、一部は慰霊碑に、また一部は埼玉県所沢市の金乗院に安置されているが、まだ発見されずに埋もれたままの遺骨も少なくないと推測される。
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長崎ウエスレヤン大学地域総合研究所紀要 6巻1号
ページ: 17-24
Bulletin of the Research Institute of Regional Area Study Nagasaki Wesleyan University Vol.6, No.1
長崎ウエスレヤン大学地域総合研究所紀要 4巻1号
ページ: 17-26
Bulletin of the Research Institute of Regional Area Study Nagasaki Wesleyan University Vol.4, No.1
長崎ウエスレヤン大学地域総合研究所紀要 3巻1号
ページ: 33-40
Bulletin of the Research Institute of Regional Area Study Nagasaki Wesleyan University Vol.3, No.1