二十世紀に入ると全国各地に公立結核療養所が誕生する。療養所の建設計画が明らかになると各地で反対運動が起こった。そこで、本研究は全国18ヶ所の公立結核療養所反対運動について、反対運動の有無、特徴、地域環境などを通して当時の人々の結核をめぐる社会意識を明らかにすることを目的とした。その結果、18ヶ所中14ヶ所で反対運動があることがわかった。また、これらの反対運動は結核を忌み嫌うだけでなく、それぞれの地域によって、微妙に反対理由や事情が異なっていることがわかった。 第一に、反対運動は一般に町村単位で行なわれることが多く、当時は結核療養所に反対することが地域住民の共通利害であったことがわかる。また、反対理由は様々であるが、結核に感染することを恐れるだけでなく地域の農産物や海産物が売れなくなることを心配したり、景勝地の場合には観光客が減るなどの理由もあった。また、周辺町村の住民が寄り付かなくなるといった理由が挙げる場合もあったが、どの場合も結核を忌み嫌う意識が土台にはある。 第二は、療養所の候補地をめぐっては地域環境が大きく影響した。療養所の候補地は必ずしも患者に適した場所だという理由だけではない。候補地の決定には容易に土地を取得できることが重要であった。そのために療養所はすでに人々から疎まれていた場所を選んで建てられる場合も多く、こうした地域には候補地となる以前から避病院、監獄、墓地、火葬場、結核療養所などが存在し、すでに地域住民から嫌われる場所であった。 このように、一般に療養所は嫌われる施設であったが、例外的に療養所の誘致に積極的な地域もあった。これらは地方の過疎地などである。結核療養所が地域の振興に役立つと考えたからである。 以上のように、公立結核療養所をめぐっては単に結核を忌み嫌うだけでなく、人々のあいだには様々な社会意識が存在していたことがわかった。
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