研究課題/領域番号 |
17530431
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研究機関 | 慶應義塾大学 |
研究代表者 |
小野 修三 慶應義塾大学, 商学部, 教授 (90103902)
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研究分担者 |
永岡 正己 日本福祉大学, 社会福祉学部, 教授 (20121486)
小笠原 慶彰 京都光華女子大学, 人間関係学部, 教授 (00204058)
坂井 達朗 帝京大学, 文学部, 教授 (70064730)
米山 光儀 慶應義塾大学, 教職課程センター, 教授 (40167044)
安形 静男 宮崎産業経営大学, 法学部, 教授 (30369160)
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キーワード | 岡山孤児院 / 石井十次 / 大阪汎愛扶植会 / 加島敏郎 / 慈善 / 児童保護 / 朝鮮殖民 / セツルメント |
研究概要 |
明治40年の創立20周年を期に岡山孤児院が大阪に新事務所を開設していたことは、本共同研究者が以前に大阪事務所日誌を翻刻し、その内容がすでに全面的に解明されていたが、今回東京事務所日誌を入手し、その翻刻を実施した結果、明治40年には大阪と東京とでまったく同時に新事務所が発足していたこと、かつそれぞれの事務所の役割分担が、昭和52年に翻刻されている石井十次の日記たる石井十次日誌の記述通りに実現されていたことが判明した。 この岡山孤児院の大阪事業と東京事業は、ともに日誌が翻刻されたことで、初めてその比較研究が可能となった。さらに大阪の地では岡山孤児院より先輩格であった加島敏郎の大阪汎愛扶植会に関する調査を進めた結果、岡山孤児院と大阪汎愛扶植会の比較も可能となった。 その両事業体の比較によって、両者とも明治末年にセツルメントへの動きがあり、そのセツルメント運動は今日でもそれを継承する社会福祉団体が大阪にそれぞれ存続すること、一方大阪汎愛扶植会は明治43年の日韓併合時に朝鮮殖民を開始したが、岡山孤児院は大正4年に朝鮮殖民を考慮するも、調査の結果断念していることが明確となった。 朝鮮殖民という新事業を開始するか否かという判断を分けたのは、それぞれがどの方面に援助や保護を求めていたかという点であることも明らかになった。すなわち、大阪汎愛扶植会は時の政府(朝鮮総督府)、国策会社(東洋拓殖株式会社)に頼り、岡山孤児院は専ら資本主義的計算に立っていた、ということであった。
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