本研究は、これまで収集した旧東京市の公立小学校に所蔵されている学校文書を用いて、大正期新教育運動に先立って東京市の公立小学校においてはその前提となるような教育改造運動が存在していたのではないか、という仮説を立て、それを小学校文書を中心とする様々な史料をもちいて検証しようとするものである。すでに多くの学校文書を収集していることと、本年度もまた「個人情報保護法」の影響からか新たな学校文書の収集が難しい状態が続いたこともあり、収集済み史料の読み込み、とりわけ文京区林町小学校の史料が連続しているためそれを軸に分析を進めた。収集資料のなかでは旧浅草区の台東小学校、台東育英小学校、富士小学校、平成小学校などが新教育に関係の深い学校であるから、これらの学校の学校目誌などを中心に読み進めている。文京区林町小学校には、『学籍簿はほとんどないものの、『訓練簿』という個人の修学記録、『学習記録簿などがあり、また1913年発刊の『学校と家庭』は連続して大量に残されており、教育実践の状態の分析に利用することができる。これらの史料は、マイクロフィルムで22本程度、15000コマ程度撮影した。本来同校は1901年から東京市が設立を開始した貧困者対策の市立「特殊小学校」の一つであるが、初代藤岡真一郎校長のもと、障害児学級(補助学級)、夜間小学校、女子補習科など様々な教育改革の試みをおこなっている。このように多く残されている学校の史料を丁寧に追うことによって、浅草区などの小学校文書が断片的であるという問題状況を補う事ができると考えられる。 以上のような分析をもとに、次年度が最終年度にあたるので、新教育運動の先行形態を特に東京市の教育、都市教育の特殊性と重ねて分析していきたいと考える。
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