本稿は、実業学校の卒業者の職業経歴についてその軌跡と実業学校の社会的機能について明らかにすることにある。そのねらいは、日本社会全体の産業化の兆しが劇的な開始を見せる明治40年以降から大正期の末頃までの実業学校卒業生の職業経歴の変化を追跡することにより、企業の人材需要の変化とその供給を担った実業学校がどのような関係にあったのかを全体として把握することでもある。 本研究の課題は次のようになる。第一に、工業教育分野にとどまらない商業教育、農業教育の分野にまで対象を広げることにより、明治末期から大正期にかけての青年の職業選択やその実態を解明することである。第二に、日本の産業化が進行する中で、実業学校卒業者がどのような職業を選択していったのかについて、より個別事例を通して広範に分析を行うことである。それにより、実業学校が果たした役割を歴史的・構造的に解明できると考える。 第三に、日本社会の産業化と近代化の成立過程を人材供給や人材需要の実態を卒業者の経歴を媒介として明らかにすることである。 こうした課題意識の中で筆者は暫定的仮説として以下のような仮説を提示した。即ち商業学校では一部の先進な学校において卒業生は全国各地への就職を果たしており、多くの学校では地域密着型の地域貢献を果たす学校が多い。高等商業学校では国内大手企業は言うまでもなく、日本の植民地(朝鮮・台湾・中国)にかかわる一連の企業に多くの卒業生を輩出している。こうして商業学校は全体として特に大正期にかけて日本の産業化に大きな役割を果たしていったと考えられる。工業学校系統ではその卒業生は地域型・地帯型の就職を果たしており、学校の役割とてしは地域貢献が強い傾向がある。高等工業学校では全国的に人材が輩出されており、専門(中級)技術者として大正期以降特に発展した企業などに多くの卒業生を送り出している。農業特に蚕業学校では圧倒的に実業(農業)に就業するものが多い。
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