本年度は、4年間(平成17〜20年度)の計画期間の4年目であり、最終年度に当たる。そのため、これまでの研究成果を総合・総括することを意識しながら活動した。本研究は、現代語として一般化している「自己実現」の輸入および受容の様相を実証することを主たる目標としたものであるが、具体的素材を収集して整理すればするほど、本研究を進めていく上で基盤認識として押さえるべき着眼点が浮かび上がってきた。これは、主に以下の三つのポイントに集約できる。 第一に、基本的事実として、西洋からの「輸入物」であった日本語「自己実現」は、その中味については、輸入直後から早い時期に半ば「純国産品」として展開した。グリーンやマズローといった大元の思想家が全く無視されたわけではないけれども、「自我実現」や「自己実現」の名の下に、日本社会の歴史的磁場に強く引きつけられる形で諸々の自己実現思想が林立することとなった。 第二に、その思想史的展開は、基本的特質として、「自己を実現することがどういうことか?」が問われ続けた歴史としてよりも、「自己という名において、どのような価値を実現しようとするか?」が追求されたり主張されたりし続けた歴史となっている。その結果、この言葉を媒介とすれば、いかなる価値観が社会的に受容され普及していったかの歴史を明らかにすることができる。 第三に、自己実現概念の受容の基本線には、個人と社会との関係が問われ続けてきたという歴史的事実がある。たしかに、現代的感覚では、自己実現と言えば、もっぱら個人的課題として語られがちである。だが、明治期から第二次世界大戦直前までの時期においでは、「自己」や「自我」が独善に陥ることへの警戒感から、個人と社会・国家との関係のあるべき姿に対して議論の焦点が当たり続けて、これらの調停・統合概念として「人格」が最大のキーワードとなったのである。
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