1.明治検定期算術教科書について、第I期・前期(明治19年〜明治26年頃)、第I期・後期(明治27年頃〜明治33年頃)、第II期(明治33年頃〜国定教科書の成立前)、3つの時期を通して、そこにおける分数の教育内容構成原理とその変容の具体的な様相を解明した。その結果、次の点が明らかになった。 (1) 第I期・前期の教科書においては、《分数の定義から、性質・大小関係を経て、四則演算に至る》順序に従い、《それぞれの数学的概念について、ひとまとまりの教育内容を構成する》という原理が見られる。 (2) 第I期・後期から第II期の教科書においては、上記の原理に対する変容の過程が進行する。 (1) 四則演算における説明の必要性が重視され、それに応じた形で、分数の性質、整数の性質が従属的かつ分散的な形で位置付けられる。 (2) 四則演算については、第一に、分数の定義・性質の延長として、比較的容易に説明可能な内容(同分母分数の加法、減法、整数を乗数または除数とする乗法、除法)、第二に、分数の定義・性質の延長とは異なる、独自の論理による説明が必要になる内容(異分母分数の加法・減法、分数を乗数または除数とする乗法、除法)、2つのまとまりによって教育内容が構成される。 (3) それを通して、初等数学としての分数論の原型から、学校数学としての分数論の原型への変容過程が進行する。 2.上記の変容過程に関連する歴史的な要因として、(1)法令における分数の教育内容規定(直接的には学年別編成の方法)の変化に加え、(2)教育実践の現場における、分数教授の困難性、(3)「理論流儀算術」の後退から消滅に至る過程、(4)高等小学校の性格の変容が存在することを指摘した。 3.上記の時期に発行された教育雑誌の内、分数の教材構成研究に関する記事を収集し、特に教科書との関連を視点として、その内容・展開に関する分析、検討を行った。
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