本年度は、「住宅地図」などを用いて、浅草については1921年から2004年について、新宿については1933年から2004年について、銀座については1963年から2005年にかけての、建物ごとの商店・事業所の機能を明らかにし、その分布を通して、それぞれの繁華街がどのような特性をもってきたかについて検討している。機能分類については、今後の街づくりの資料としても利用できるよう、「土地利用現況図(用途別)」を基にして、公共系、商業系、住居系、工業系の4つの系に分類し、それを16の機能に分けている。 その結果、浅草については、浅草寺境内と六区興行街という二つの性質の異なる地区が、瓢箪池を中心にして同心円状に分布していた点、1949年に瓢箪池が埋め立てられることで、社交娯楽機能が浅草の西部へ、買い回り品販売機能が浅草の東部に集中し、瓢箪池を中心とした回遊性が失われたと考えられた点、1963年から1983年にかけて六区興行街が衰退していくことにより、社交娯楽機能と買い回り品販売機能の関係が希薄になっていった点を明らかにした。銀座については、4丁目交差点を中心とした買回り品販売機能と飲食食品機能が、1979年ごろから昭和通りおよび京橋側へ分布を広げていった点、新橋側と京橋側に集積していた社交娯楽機能が1980年代から1990年代前半に銀座全域に広がっていった点、買回り品販売機能と同じような分布で変遷していた飲食食品機能が1988年頃から外周部へ分布を移していった点を明らかにした。新宿については、新宿駅東口周辺が、昭和戦前期、戦後復興期と、多くの人々が集まる社交娯楽機能の溢れる繁華街であった点、1950年代の戦災復興計画の土地区画整理や1960年代の駅前開発に伴う地価の上昇、施設の大型化によって、小規模施設が多い社交娯楽機能や宿泊機能、住居が減少していった点、1970年代からの西口の開発や1990年代からの南口の開発によって、買回り品販売機能が大きく増加していった点を明らかにした。
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