近世橋本のまちなみにおける実態とその都市史的意義・構造を紀ノ川との関係で明らかにするため、本年度も引き続き橋本地区及びその西隣に位置する東家(とうげ)地区の建築・まちなみ調査を実施した。 本年度は橋本、東家に位置する三林家住宅(橋本 主屋:昭和11・1936)年、中西家住宅(東家 主屋:18世紀後期)、堤家住宅(東家 主屋:19世紀前期頃、離れ座敷:明治時代末、土蔵:18世紀)、山内家住宅(橋本 主屋:大正8・1919年)、岡本家住宅(橋本 主屋:明治10・1877年代前半)、辻田家住宅(橋本 主屋:18世紀末、土蔵:19世紀前期)、稲作金物店(橋本 主屋:昭和32・1957年、蔵:大正時代、離れ座敷:明治時代前期頃)、奥村家長屋(東家 大正時代末)、楠本家長屋(橋本 大正時代末)、福井家住宅(橋本 主屋:昭和8・1933年)では、住宅は、聞き取り、図面作成、写真撮影などの建築調査を実施した。 橋本においては街道に面して問屋、東家においては小売商の進出が目立つ。また、街道背面では、東家地区では町家に影響を受けた農家建築も見ることができ、在郷町の在り方を見ることができる。近代においては両町の街道背面において長屋の建築が盛んである。 以上をまとめると橋本・東家地区では、宿場町的要素に加え、問屋、小売店舗が存在し、これらを補完する形で農家、長屋が周辺に建った姿を考えることができそうである。 資料調査においては東家地区の絵図を見いだした。 今後は資料と遺構の両面から、紀ノ川との関係を含め考察を行いたい。
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