研究課題
ハーイは論文(1)において戦前の検閲官橘高四郎が1920年代から1930年代まで綴ったエッセイ集(「これ以上は禁止する!」)を分析し、そこにある心理的自己暴露を追及分析した。また論文(2)では、牧野省三に焦点を合わせて、日本映画の初期の歴史を詳細に語りながら「映画監督」の出現を探った。論文(3)は雑誌『日本映画』の設立と以降の編集方針に関して(太平洋戦争後期に大英の社長でもあった)菊池寛の果たした役割に関する研究である。藤木は、論文(4)において、1920年代の映画批評家、岡村紫峰の書き残した映画名鑑を分析し、そこにエスノグラフィーとしての価値を見出した。論文(5)-(6)および著書(7)は、日本における映画スターダムの形成と、1910年代から1920年代にかけてのスターをめぐる文化的・社会的問題を歴史的に研究した諸成果である。上記の二つの論文ではとくに、1920年ごろの女形から女優への転換と、弁士のスター・システムの歴史的変遷を検討した。以上の研究にかかわる成果は次のような口頭発表やシンポジウムでも公表した。ハーイは2007年1月のタイ国のチェンマイのチェンマイ大学におけるSecond Conference on Film in Asiaで2回の口頭発表を行った。ハーイがこの学会を2年前に提案し、現在coordinatorの一人として勤めている。学会は東アジアと東南アジアの映画史研究者たちが自分の地域をこえて、交流して研究成果の交換ができるように成立されたものである。藤木は2006年4月サンフランシスコでのアジア研究学会(AAS)と2007年3月ボストンでのアジア研究学会、さらに2007年4月フランクフルトでのキネマ倶楽部国際映画研究集会などで口頭発表を行った。
すべて 2007 2006
すべて 雑誌論文 (6件) 図書 (1件)
Cultural Studies at Chiang Mai University 23
ページ: 31-40
戦争と表象・美術・20世紀以降 (所収)
ページ: 275-302
Remapping World Cinema : Identity, Culture and Politics in Film
ページ: 141-152
日本映画論言説体系第5期-橘高四朗「これ以上は禁止だ」 15(所収)
ページ: 313-335
最尖端民衆娯楽映画文献資料集 5
ページ: 478-488
Cinema Journal 45/2
ページ: 68-84