芸能で、衣装、化粧、音楽などは変身の装置である。これらは、演者の正体を判断する手がかりになる。しかし、これらの装置は、じつは変身をひきおこす起爆装置である。衣装以下の装置が演者の変身をひきおこすことができるのは、これらが本来は神祭りの際にそこに神が宿る依代であったからである。沖縄の神祭りでは、神に奉仕する神女のノロは、祭りに先立って山に入り、頭や身体にクバの葉を巻きつける。クバの葉はそこに神が宿る依代であり、ノロはこの葉を巻きつけることによって神に変身する。衣装や髪形はこのクバの葉と同じ働きをする。役柄が変わったから衣装や髪形が変わったのではなく、衣装や髪形が変わったから役柄が変わったのである。化粧と仮面は別のものではない。人間の顔の化粧や仮面に超越者がよりつく。そのときに演者は神を始めとする超越者となる。音楽も同じ働きをする。音楽は新しい役柄を荘厳するのではなく、音楽の中に新しい役柄が出現する。中国を中心とした東アジアの民俗芸能調査で、衣装や仮面、化粧、音楽のこのような機能を示す例に数多く出会った。平成18年8月に調査した中国河南省の祭りでは仮面が登場した。初めに祭壇に仮面がすべて並べられ、神迎えの儀礼が行なわれる。祭りを主宰する巫師たちは、祭りの進行中にこの仮面と衣装を信者たちの面前で付け替える。それをきっかけに主役が交替し、儀礼の種類が変わる。ベトナムの跳神とよばれる祭りでは、一人の女性シャーマンが神前にかさねて用意された幾通りもの衣装を信者の面前で着替え、依りつくものの種類と性格を踊りと演技で表現する。それにつれて男性たちの演奏する音楽も多様に変化する。というよりも、音楽や衣装が変わるからシャーマンの演じる役柄が変化するのだ。日中の表象芸術で死と生は断絶よりも連続が優位する。今年度の調査や研究会で中心課題とした変身は死と生の交流のもっとも重要な方法の一つである。我々は、日中の芸能と演劇を中心に、生死の交流の全容をさらに多方面にわたって明らかにしていきたい。
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