平成18年度は、前年度に引き続き資料収集を行うとともに、昭和15年当時、新東亜暦編纂に向けて、南京において紫金山天文台の修復事業にかかわっていた高木公三郎・森川光郎の両名が南京の維新政府(国民政府)の要人とどのように関わり、いかなる作業を行っていたのか、時系列に従って整理を行った。また、新東亜暦編纂会議にむけて南京で開催された会議を報じた新聞資料の整理を行った。 新東亜歴編纂事業の要となっていたのは、京都帝国大学理学部宇宙物理学科に所属していた荒木俊馬であるが、その著作『雨夜夢話』(昭和17年・日本放送出版協会刊)には、昭和9年から17年までに発表された34篇の小文が収録されており、荒木の天文学、改暦に対する考え方のみならず、国際問題、学校教育に対する姿勢、および昭和16年9月に中国漢口で実施された日食観測(中華民国国民政府天文気象委員会)の概要などが記載されている。こうした荒木の文章と、藪内清、能田忠亮等、東方文化研究所にあってやはり新東亜暦編纂に関わっていたメンバーの書いたものを比較してみると、新東亜暦の必要性についてはほぼ一致した見解をもっているものの、その思想的なバックグラウンドについてはやや異なることが判明した。特に藪内は、南方(インド)における暦のあり方などから、大東亜共栄圏における暦の統一については慎重な姿勢を示しており、荒木とは一線を画している。
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