最終年度である今年度は顧頡剛をはじめとする疑古派の理論が今日的検証に耐え得るかを研究した。『20世紀疑古思潮』(2003、北京)などの比較的公平な立場からする研究を参考にし、歴史的実証的に考察した。共産主義中国においては疑古派の理論はその有効性について判断が早くに決着が付いていた。すなわちマルクス・レーニン主義を信奉する共産主義中国においては疑古派の理論はそもそもブルジョワ階級生まれの科学的根拠を持たない不十分な理論に過ぎないと判断されたのである。顧頡剛自身もその公式判断を尊重せざるを得ず、「走出疑古時代」疑古主義を表看板に標榜した時代から距離を置くことを余儀なくされたのである。ところが20世紀80年代以来の改革開放の波は歴史界にも及び、疑古派にも歴史評価の客観的検証の場が設けられ、相対的な位置づけ・地位を獲得した。有態にいえば疑古派史観とは近現代の中国歴史理論の発展段階においてマルクス・レーニン主義に帰結するところの唯物史観に近似した批判的実証的理論と定義されたのだ。ブルジョワ階級生まれという出自の悪さは否定すべくもないが、果敢に儒教的歴史観に挑み、その価値観を転倒させた反封建主義的ふるまいは評価されたのである。なお、疑古派の「層累地造成的歴史」という最も優秀な方法論が、我が国江戸時代の学者富永仲基の「加上(の)説」に直接の由来を有することを中国の学界でも明確に認識し、表明していることはよろこばしい変化のあらわれと思われる。
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