陽明学は、江戸初期に中江藤樹が受容してその学統が継承した。その陽明学・藤樹心学の思想運動は、消長を繰り広げながらも昭和初期まで展開し、日本の思想運動の大動脈の一つになっている。旧来、江戸期・幕末維新期における陽明学運動は研究されてきたが、実は日本における陽明学運動は明治・大正・昭和初期にこそ運動量が最も大きかった。特に明治後期から昭和初期にかけて、陽明学を基本理念とする民間結社を基礎に吉本襄主幹『陽明学』、東敬治主幹『王学雑誌』『陽明学』、石崎東国主幹『陽明』『陽明主義』などを媒体にして陽明学を当代の課題に立ち向から現代哲学として高唱し、中国・日本の陽明学者を発掘・顕彰した。一。これらの機関誌を支えた立役者たちの活動を「年譜」という形で整理して、運動体の熱量を把屋したこと。二。またこの時期に特に東敬治・生田正庵が中心になって中江藤樹心学派の根本資料を収集・整理したのが東洋大学・中江藤樹記念館に収められている。それを小山国三氏の協力を得て解読・再整理して『中江藤樹心学派全集』として刊行した。三。石崎東国は大坂を拠点に大塩平八郎顕彰を看板にして大正リベラリズム運動に呼応した。性善説の原理主義ともいえる陽明学運動が自由主義・平等主義を主張する思想資源に活学されていることを明らかにした。このことは陽明学が今日の課題に立ち向かう際に有効な内容を内包することを示唆する。
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