本年度は、「祐生出会いの館」に所蔵されている朝鮮・大陸関連コレクションを、主に絵葉書とポスターを中心に整理するとともに、板祐生が明治42年から書いていた日記、および孔版画やおもちゃのコレクターとして発行していた私版の雑誌を分析し、そのコレクションの入手先や背景を探ることを行った。また、同僚の趣味家の遺族、関係資料館を訪ね、趣味家の行動様式についても、若干の知見を得た。 コレクションの入手先は、3種に大別できた。ひとつは、全国に広がる趣味家仲間のネットワークであり、これら同好会は、大連や朝鮮にも会員を有し、彼らの間では会誌や通信が頻繁に交わされ、大陸の風俗を日本在住者にも身近に体験することを可能にしていた。2つ目は、「谷の人」と呼ばれる近隣出身者で、一部の植民地政府関係者のみならず、一般移住者たちからであった。日本海海戦や満州進出等、地元の軍隊が派遣されており、入隊した教え子や住民による情報も多い。軍隊を通しての情報伝達も大きかったのではないかと思われる。3つ目は、通信販売によるもので、逓信省などの公的機関ばかりでなく、松江や満州、樺太など各地の写真館が絵葉書を配信し、日韓併合前の祐生の日記にもそれらを扱う大阪の業者とのやりとりが見られる。また、山間地域でありながら、祐生や周囲の人々は、日露戦争が始まる頃には、朝鮮や大陸の情報をすでに身近なものにしていた節がある。それには、当時毎日のように送受信される文通文化が軍隊の存在とともに大きな役割を果たしていたようにも思われる。 今年度は、地元住民に関しては、概略的な情報を得ただけであり、趣味家を含めた郵便文化の影響とともに、入隊者とのやりとりを通した情報網が地域社会にもたらした影響なども、来年度の課題としたい。
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