個人情報保護法制の運用面の課題につき、前年度での成果の一端を前年度末に座談会でメディア関係者や憲法研究家と意見交換する機械を披露し(棟居快行・山野目章夫・木村邦明・本橋春紀・大石泰彦「<座談会>プライバシーをめぐる今日的状況とプライバシー理論の現在」法律時報78巻4号 4-24頁)<さらに批判や示唆を得ることができた。そこで本年度は、計画通り実証データの収集を続けながら、さらに理論的な見通しの精度を上げることにも努めた。一つには、国家と社会ないし公と私の二元論の同様と不透明化が個人情報保護法制の混乱の根底にあるという仮定の下に、原理的考察をすすめ、その一端は、単著「プロセス・アプローチ再訪」高田敏先生古稀記念論集『法治国家の展開と現代的構成』(2007年2月刊行、法律文化社)に公表したところであり。そこで述べたのは、従来の表現の自由論が広狭空間に特化したコミュニケーションを志向しており、そこではむしろ個人の「かけがえのなさ」やそこから派生するプライバシー保護は異物として排除されるべきであることから、ことさらプライバシー保護に冷淡な学説がとらえられがちであり、他方で、社会の擁護者を自任する裁判所は、個人の「かけがえのなさ」の法的表現としての「人格権」を通じて私的空間のおけるプライバシーいわば過剰な保護に努めがちとなる。このように、公と私の領域が明確に区分されないなかで個人情報保護法制における「個人識別情報」の一律利用禁止をと言った規範が成立すると、その運用ニコンラインが起きるのはいわば必然であったといいうる。本年は、実証データは文献を通じた収集が中心となったが、仮説の点では大きな収穫があり、それを政府の役割という観点から整理した「小さな政府の憲法論」じゃ早稲田大学政治経済学部COEメンバーとの対話から生まれた成果である(脱稿済み、早稲田大学側で刊行作業中)が、そこでは不十分ながら、「行政のオートポイエーシス化」(行政各部が各々の状況に適応し情報の収集と選別並びに誘導による行政目的の達成が主な手法となっている)において人権論による行政チェックが機能不全に陥り、かわりに個人情報保護法制がこのような新しい行政モデルに対するチェック機能をかなりの程度担うこととなっていること、これはいわば個人情報保護法制の過重負担とも言える現象であることなどを示唆した。
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