嗅神経細胞は、個々別々に様々な強度(濃度)のにおい物質に対して異なった反応性を示し、におい物質の認識につながる情報の符号化は、高次中枢よりも前の、嗅神経細胞レベルで既になされていると考えられた。嗅神経細胞の嗅小胞、樹状突起および細胞体すべての部位に存在するT-typeカルシウムチャネルを介して流入するカルシウムイオンが、におい物質の情報の処理と感受性の修飾に寄与していることが示唆された。弱いにおい刺激の場合、カルシウム反応は嗅小胞に限局し、カルシウム依存性K^+チャネルを活性化して過分極反応を惹起することにより、嗅神経細胞での電気的な自発性ノイズの発生を抑制している可能性が浮かび上がった。ブタ鋤鼻感覚上皮には神経細胞とは異なる性質を持つ電位依存性ナトリウムチャネルをもつ細胞群、すなわちグリア細の特徴を持つ支持細胞が存在し、これらの電位依存性チャネル密度は神経細胞よりも低いことが示唆された。 以上の結果から、におい刺激が弱い場合には、カルシウム反応は嗅小胞に限局し、嗅神経細胞の情報伝達は抑制されているか、あるいはごく弱い興奮生反応を示すと考えられる。これによって、自発性ノイズが覆い隠され、別種のにおい物質に対する感受性と識別能が増大しているのではないか、という新しい仮説を提唱した。このアイデアを拡張すると、においによる動物の行動の制御を考慮する場合、単一のにおい物質を用いるのではなく、複数のにおい物質から成る、混合体を用いる方が効率的であるかもしれないというアイデアにたどり着く。実際、香水製造の現場では、複数のにおいを混合して作製しているらしい。本研究の結論は、この経験的処方の生理学的基盤に結びつくかも知れない。その妥当性は実際の現場で試験することによって初めて明らかとなろう。
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