本研究では有機半導体薄膜特有の電子構造について「分子振動」というキーワードを掲げて研究を行った。弱い相互作用で結ばれた分子性固体中の電荷の動きを如何にして捉えるか、電子論物理的に記述できるかが命題である。光電子分光法という古来の手法を高精度測定を通じて有機半導体の系に斬新に活用することにより、ホッピング伝導の重要な要素である再配向エネルギーとトランスファー積分の両者に直接的に踏み込むことができた。ここで見出された、グラファイト基板上に分子を真空蒸着する手法により、これまで埋もれていた微細情報をあらわにすることに成功し、有機半導体の移動度の「第一原理測定」法としてのノウハウを蓄積した。 一例として、n型半導体として知られるフッ素化ペンタセン分子の吸着膜を作製したところ、二分子層において特徴的な二量体構造を形成することを見出した。高分解能光電子分光測定の結果、単量体と二量体の電子構造の変化は劇的であり、エネルギー準位分裂によるトランスファー積分と、二量体化による再配向エネルギーの減少を直接捉えることに成功した。つまり分子性固体のような弱い相互作用(ファンデアワールスカ)により支配される系において、明らかに分子間相互作用によるエネルギー変化が生じており、その軌道間の相互作用は従来考えられてきた値よりも遙かに大きいことを示すことに成功した(投稿準備中)。二量体における分裂測定は、バルク(結晶)においてエネルギーバンド分散が形成される過程の最も初期段階の電子構造を捉えたことになり、孤立分子系からの一連の弱い相互作用系の電子論が議論可能となったと言える。本課題を通じて得られた結果に関してレビュー誌を2報投稿中である。 有機電荷輸送機構の全容解明には至っていないが、多くの周辺物理も同時に見出されており、分子性固体における基盤学理構築へ向けて確実に前進したといるといえる。
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